横山裕の24時間マラソンが心配!体調不安と猛暑の中でなぜ走るのか考察

2025年の『24時間テレビ』チャリティーマラソンに挑むのは、SUPER EIGHTの横山裕さん。

記録的猛暑が続く中、「本当に走って大丈夫?」「なぜ今でも走らせるの?」という声がSNSでも広がっています。

この記事では、横山裕さんの想いや背景とともに、マラソン企画の必要性について冷静に考察していきます。

横山裕はなぜ24時間テレビでチャリティーマラソンを走るのか?

「なんで横山裕さんがマラソンを?」と疑問に思った人も多いのではないでしょうか。

応援の気持ちはありつつ、なぜ彼がこの過酷な企画に挑むのか──その理由には、本人の過去と強い想いが深く関係しています。

子ども支援に込めた思いと生い立ち

横山裕さんは、3歳で両親が離婚。母親に引き取られ、経済的に苦しい生活の中で育ちました。

中学卒業後は建設現場で働きながら芸能活動を続け、高校には通わなかったといいます。

さらに、母親の病気をきっかけに弟たちは児童養護施設に入所。

自身も不安定な環境の中で必死に支えてきた過去を持っています。

そうした経験から、今回のチャリティーマラソンには「今も困難な状況にある子どもたちの存在を知ってもらうだけでも意味がある」と語っています。

この言葉には、彼だからこそ届けられる“本物の支援の声”が宿っているように感じられますよね。

番組側の起用理由と背景とは?

『24時間テレビ』が横山裕さんを選んだ理由として、まず挙げられるのは「伝えられる力」でしょう。

SUPER EIGHTとしての知名度だけでなく、これまでの苦労を乗り越えてきた背景が、番組の趣旨である“愛と支援”と重なる。

また、2024年までの流れを見ると、チャリティーマラソンは毎回“本人の過去と支援内容がリンクしている”構成が多くなっています。

横山裕さんが走ることで、そのメッセージがより多くの人に届くと判断されたのかもしれませんね。

猛暑のチャリティーマラソンは大丈夫?走行リスクと熱中症対策

とはいえ、ここまでの酷暑はさすがに“やばい”ですよね。

応援したい気持ちはあるものの、「命の危険があるんじゃ…」と不安になる人も多いはずです。

実際、2025年の夏は観測史上でも異例の暑さとなっています。

過去最高気温の中を走る“やばい”リスクとは

7月30日、兵庫県丹波市では国内最高となる41.2℃を記録。

京都・福知山・西脇市などでも40℃超えを観測し、まさに“地球沸騰化”という言葉が現実のものになっています。

この状況下で100km近いマラソンを走る──それがどれほどの危険をはらんでいるかは、言うまでもありません。

実際に、2025年7月末の1週間で熱中症搬送者は全国で1万人を超え、死者も確認されています。

アスリートですら倒れる気温の中で、テレビ演出のためにタレントが走る……さすがに疑問を感じる人が出てくるのも当然です。

番組の熱中症対策と横山の準備状況

こうした声に対し、番組側も対策を講じてはいます。

6月から暑熱順化のトレーニングを開始し、専門医や救護チームを配置。

公式サイトでは「適切な休憩を確保し、医療体制を整えた上で実施する」と明記されています。

また、横山裕さん本人も「準備は万全にして臨む」と語っており、水分補給や日中の移動時間などにも配慮したスケジュールが組まれるようです。

とはいえ、それでもリスクがゼロになるわけではありません。

命を懸けてまで走る必要があるのか──その問いは、やはり残ってしまいますね。

「マラソンは必要?」と問われる24時間テレビへの疑問と批判

ここ数年、とくに強くなってきたのが「マラソンって本当に必要なの?」という声。

チャリティー企画としての意義よりも、演出重視・感動重視に対する違和感が広がっているのが現状です。

SNSで広がる心配と批判の声

SNSでは今回もさまざまな声が飛び交っています。

「応援したいけど命が心配」「なんでこの暑さでやるの?」「走らせる意味がわからない」など、“やめてあげて”という投稿が多く見られました。

また、Yahooニュースのコメント欄でも、横山裕さんに対する心配と番組への疑念が入り混じった意見が数千件単位で寄せられています。

過去には沿道でタレントがトラブルに巻き込まれたこともあり、マラソンそのものの安全性にも注目が集まっています。

チャリティーマラソンという形式の是非とは?

『24時間テレビ』のチャリティーマラソンは、1992年から続く名物企画。

たしかに、多くの人の心を動かし、毎年莫大な寄附金を集めてきたのも事実です。

ただ、いまはSNSやクラウドファンディングといった新しい支援の形がある時代。

「走る必要ってあるの?」「別の形で届ければいいのでは?」という声が上がるのも、ごく自然な流れだと思います。

もちろん、全力で走る姿から勇気をもらう人もいます。

でもその裏で、体調を崩すリスクがあることも忘れてはいけません。

“走る感動”と“命のリスク”、このバランスをどう取るのか。

それこそが今、番組側に問われているテーマなのかもしれませんね。

まとめ|横山裕のマラソンは“心配”されながらも走る意味があるのか

ここまで見てきた内容を、もう一度整理しておきましょう。

  • 横山裕さんは、自身の貧困経験と支援への思いからマラソンに挑む
  • 2025年の夏は異常気象で、命の危険が懸念されるほどの暑さ
  • 番組側も熱中症対策を講じているが、完全に安全とは言いきれない
  • SNSでは「応援」と「やめてほしい」が交錯する複雑な世論
  • チャリティーの“形”が変化する今、マラソンの必要性そのものが問われている

たしかに、横山裕さんの走りには“意味”があります。

ただしそれは、本人の覚悟と、視聴者がどう受け取るかによって大きく変わるもの。

「走ることが支援になる」──その価値を、私たち一人ひとりがどう感じるのか。

それがいま、この企画が突きつけている最大の問いなのかもしれません。

コメント