1990年代に一世を風靡した音楽グループ「WANDS(ワンズ)」。
現在のボーカリストは3代目ですが、WANDSといえば初代ボーカルだった上杉昇(うえすぎ しょう)さんのイメージなのではないでしょうか?
ボーカルが変わることって珍しいですが、なぜWANDSのボーカルは変わっていったのでしょうか?
この記事ではWANDSのボーカルの変遷を、上杉昇さんの脱退をメインに深掘りしていきます。
なぜWANDSのボーカルは上杉昇から変わったのか?
上杉昇さんの脱退には、音楽的な背景が色濃く関わっていました。
その“本当の理由”を丁寧に紐解いていきます。
WANDSといえば、90年代に数々のミリオンヒットを飛ばした伝説的バンド。
その象徴的な存在だった初代ボーカル・上杉昇さんが、なぜ突然姿を消したのか──。
気になっていた人も多いのではないでしょうか。
結論から言えば、上杉昇さんは「自分のやりたい音楽」と「WANDSとして求められる音楽」との間で、深い葛藤を抱えていたのです。
音楽性の違いと「やらされていた感」の葛藤とは?
WANDSとしての上杉昇さんは、「もっと強く抱きしめたなら」「世界が終わるまでは…」など、大衆に刺さるJ-POP路線のボーカルとして確かな評価を得ていました。
しかし──実はその裏で「やらされている感がすごくあった」と、後にご本人が明かしています。
上杉昇さんは本来、グランジやオルタナ系といった“よりラフでエッジの効いたロック”を志向しており、WANDSのヒットスタイルとは真逆の方向に進みたかった。
その結果、制作サイドと音楽方針が合わず、摩擦が大きくなっていきました。
「ポップなシングルをまた歌ってくれ」と求められた瞬間、彼の中で何かが“限界を超えた”──。そんな印象すら受けます。
カート・コバーンの死が決定打になったという証言
葛藤に揺れる中で、上杉昇さんにとって決定的だった出来事があります。それが、1994年に起きたニルヴァーナのカート・コバーンの自殺です。
上杉昇さんは、カートの生き方や音楽に強い憧れを持っていました。
「自分も誰かの心に届くような音楽を作りたい」と思う気持ちは、どんどん強くなっていったといいます。
そんなタイミングでまたポップ路線への転向を提示されたことが、脱退の引き金になった。
これはご本人がインタビューで明言していました。
──つまり、WANDSのボーカルが変わったのは、単なるメンバーチェンジではなく、上杉昇さんが自分自身の表現と真剣に向き合った結果だったとも言えるのではないでしょうか。
歴代のWANDSボーカルは誰?時系列で整理!
ボーカルが何度も交代してきたWANDS。
混乱を避けるためにも、時系列でわかりやすく整理しておきましょう。
WANDSというバンドは、実はボーカルが何度も入れ替わっているんです。
そのせいか、「あれ、誰だっけ?」「いつ変わったの?」と混乱する人も少なくありません。
ここで一度、歴代のボーカルを“時系列”で整理してみましょう。
ファンならずとも、WANDSの流れがスッと入ってくるはずです。
初代ボーカル:上杉昇(1991〜1996)
1991年にWANDSとしてデビューした時のボーカルが、上杉昇さん。
「時の扉」「世界が終わるまでは…」など、誰もが一度は聴いたことのある名曲を次々に生み出しました。
WANDSの“黄金時代”を築いた立役者といえる存在です。
ただし前述のとおり、音楽性の違いや自身の葛藤から1996年に脱退。
その後はロック色の強いソロ活動へと舵を切っていきました。
2代目ボーカル:和久二郎(1997〜2000)
2代目ボーカルとして迎えられたのが、和久二郎さん。
元ジャニーズJr.出身という異色の経歴を持ち、上杉昇さんに似た声質で「錆びついたマシンガンで今を撃ち抜こう」などを歌い上げました。
とはいえ、人気のピークを過ぎた時期の加入だったこともあり、商業的にはやや苦戦。
2000年にWANDSは一度解体されることとなります。
3代目ボーカル:上原大史(2019〜現在)
そして時は流れ──2019年、WANDSは突如として復活。
新たなボーカルとして加入したのが、上原大史さんです。
彼は現在のWANDS第5期を担う存在でありながら、声質や表現力の面で「上杉昇さんを思い出す」と評価される実力派。
しかも、当初は「誰?」「V系っぽくない?」と話題を呼び、SNSでも軽くざわついたほどです。
現在のボーカル・上原大史はどんな人物?
SNSでも「誰?」「歌うますぎ」と話題になった上原大史さん。
プロフィールやこれまでの経歴を見ていきましょう。
WANDSの再始動とともに注目を集めたのが、3代目ボーカル・上原大史さん。
テレビやライブで初めて姿を見た人の中には、「誰、この人?」「歌がめちゃくちゃうまい」と思った方も多いのではないでしょうか。
でも、調べてみるとプロフィールがなかなか出てこない……。
そう、上原大史さんは**“謎多き実力派”**としても知られているのです。
上原大史のプロフィール(生年月日・出身地など)
まず、わかっている範囲の基本情報を整理しておきましょう。
- 生年月日:1987年8月20日(2025年7月現在で37歳)
- 出身地:福岡県北九州市
10代の頃から音楽制作に興味を持ち、中学時代にはMTR(マルチトラックレコーダー)を使って自作曲を録音していたそうです。
高校以降も精力的に楽曲制作を続けており、「灰原大介」名義で作曲活動を行っていたという記録も一部に残っています。
そして、2018年頃にライブでのパフォーマンスが音楽プロデューサーの目に留まり、柴崎浩さん・大島康祐さんとの出会いを経て、WANDSのボーカルとして加入することになります。
V系バンド出身?「命」との関係は不明ながら話題に
ファンの間では、上原大史さんがV系バンド「-真天地開闢集団-ジグザグ」のボーカル「命(みこと)」と同一人物では?という噂も飛び交っています。
確かに、歌声やステージングが似ているという声も多く、一部の比較動画などでは「完全に一致」とまで言われることも。
ただし──この件に関して、公式には一切の発表がありません。
上原大史さんご本人や所属事務所からの認める発言もなく、信憑性は「不明」とするのが正しいスタンスです。
とはいえ、V系の世界で培った表現力や声の使い方が、現在のWANDSに活かされているのは間違いありません。
“顔を隠し、歌で語る”というスタイルもまた、ミステリアスな魅力につながっているのかもしれませんね。
なぜWANDSは再評価されているのか?
一度は解散したWANDSが、今また注目を集める理由とは?
再始動のきっかけと背景を探ります。
90年代に一世を風靡し、2000年に解散したWANDS。
それが20年近くの時を経て、再び脚光を浴びる──まるで映画のような展開ですよね。
では、なぜ今ふたたびWANDSが注目されているのでしょうか?
そこには、いくつかの“きっかけ”と“時代の流れ”がありました。
DAIGOのカバーが“再始動”の引き金に
まずひとつ目の転機は、2018年にDAIGOさんがWANDSの代表曲「もっと強く抱きしめたなら」をカバーしたこと。
このカバーが音楽番組などで取り上げられたことで、WANDSの存在が再び話題となり、
“もう一度WANDSを見たい”という声がSNSを中心に広がっていきました。
当時のプロデューサー・長戸大幸さんもその反響を受け、「本気で再始動を考えよう」と動き出しました。
元メンバーたちの再結集と上原加入の経緯
再始動を計画していたタイミングで、元メンバーである柴崎浩さん(ギター)と大島康祐さん(キーボード)も「WANDSをもう一度やりたい」と考えていました。
その二人に引き合わされたのが、当時ライブで注目を集めていた上原大史さん。
歌唱力はもちろん、表現力や声質まで“WANDSサウンドを受け継ぐ存在”として一同の評価が一致。
ここに、新生WANDS=第5期の布陣が完成しました。
──そして2019年、WANDSは公式に再始動を発表。
かつてのファンにとっては驚きと歓喜のニュースとなり、新しい世代にもその楽曲が届き始めたのです。
まとめ|WANDSのボーカル交代は時代と信念の交差だった
上杉昇さんから始まったWANDSの物語は、単なる“交代劇”ではありません。
そこには、それぞれの時代を生き抜く“音楽家たちの決断”がありました。
- 上杉昇さんの脱退理由は、音楽性の違いや「やらされている感」への葛藤。カート・コバーンの死が決断の引き金となった。
- 2代目・和久二郎さんは元ジャニーズJr.出身という異色の経歴で加入し、2000年の解散までWANDSを支えた。
- 2018年のDAIGOさんによるカバーが再評価のきっかけとなり、WANDSは約20年ぶりに再始動した。
- 上原大史さんが第5期WANDSのボーカルに就任。上杉昇さんに似た声質と高い表現力で、原点と進化を両立させた。
- 現在のWANDSは、かつての名曲に新たな熱を宿しながら、再び多くのリスナーの心を掴んでいる。
WANDSというバンドは、時代によって姿を変えながらも、常に“本物の声”を追い求めてきました。
ボーカル交代の背景には、それぞれのアーティストの葛藤や決断、そして音楽への真摯な思いが詰まっています。
そして今、WANDSの音楽は再び多くの人の耳に届いています。
過去を懐かしむだけでなく、今のWANDSも知ることができればいいですね。
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